こんにちは、研究くんです。
レビューや考察以外にゲームのことを発信する機会が欲しかったので、短く雑に記します。
以下『Dragon’s Dogma:Dark Arisen』の内容に少し触れています。
未プレイの方はご注意ください。
ゲームの楽しみ方が違った話
先日、知人に薦められて『Dragon’s Dogma:Dark Arisen』のSteam版を購入してプレイしました。
彼曰く、Dragon’s Dogmaはおもしろいので自信を持って薦められるということでしたが、ゲームのどの要素がおもしろかったのかを聞いておらず、彼のおすすめポイントを探しながら遊ぶこと40時間。
従者であるポーンが進行中のクエストの情報や敵の攻略情報などを賑やかに話してくれたり、クエスト内でNPCの運命が左右されたりで、ゲームをプレイした感想は「おもしろかった」
が、ストーリーの衝撃的な結末にかなり驚いたので、後日彼に感想を伝えるついでに本作を薦めてくれた理由を問うてみました。
悪者を倒してよかったよかったね、という単純なエンディングではなかったので彼の解釈も聞いてみたかったし。
聞くと彼はDragon’s Dogmaの戦闘がおもしろくて薦めてくれたらしい。
ストーリーの結末についてはそれほど重要視していないとも。
私とは楽しんだ部分が少し違ったようでした。
戦闘か~!なるほどねえ。となった。
確かに、言われてみれば魔物に飛び乗ったり、弱点を攻撃して部位破壊するのはおもしろかったと思う。
「戦闘おもしろくない?」と聞かれたとき、わかる!おもしろい!という反応をしなかったのは
私が戦闘を、移動と同列に扱っている可能性があることを示しているのかもしれない🤔
私にとっての戦闘は、目的を達成するための手段ということなんですかね。
例えば○○を救うために敵を倒す、その手段としての戦闘という具合。
目的は、ゲームをプレイする動機や報酬と言い換えることもできます。
ストーリーの進行という報酬を得るための、戦闘。
私がモンスターハンターを遊んでいて物足りなく感じたのは、ゲームプレイの目的を戦闘以外の部分に求めてしまったからなんでしょうね。
特にモンハンライズでは、受付嬢のヒノエ、ミノトや団子屋のヨモギちゃん、オトモ窓口のイオリくんなど魅力的なキャラクターが存在するだけに、もっと彼女ら里の住人達との人間関係の部分の遊びがあれば個人的には嬉しいのですが…
そういうゲームじゃねえからこれ!
ということなんでしょうね。
意図せずオチがついたので今回はここでしめます。
Dragon’s Dogmaを薦めてくれた人へ
ありがとうございました、クリアできてよかったです。
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